2024/03/14

完走!?カーフマン

3年の渡邊涼太です、先日カーフマンのエリートに出場したので、そちらの部ログを書きます。

 

昨年も同じ部門に出ていて、LAPという結果に終わっていました。当時runbikeも練習ではそれなりにいい感じにできていて、まあ完走はいけるからどこまで上の順位いけるかなって思ってたらbike全く踏めませんでした、、

 

ちなみに私はオープンウォーターで1500m30分切れないカナヅチです。本当は昨年のカーフマンでいい結果残して、あとはswim集中すれば関カレもいい順位狙える!?という思いで臨んだのにLAPになりとてもとても萎えました。こんなんで主将でいいんかいって絶望しました。萎え萎えのまま2ヶ月経って、んで入部式です。はい。

 

そんなことがあり今回はとにかく完走を目標に、どんな形であれ走り切ることを目標に臨みました。

 

1stラン17:27(41位/108人)

1stランはみんな最初飛ばすので、とにかくゆっくり自分のペースで走ることを意識しました。位置取りは2列目、東海のくうがくんの後ろにつけました。1stランの寄生先?ついていく人を、去年のタイムを参考に考えていて、候補の1人だったのでとてもいい位置につけたと思いました。(結局全くついていけなかったが)

 

いざホーンがなり、レースが始まると、みんなマジで最初速い。流石に飛ばしすぎだろうと思った。そんなに悪いペースで走ってないのに、最初の折り返しでは後ろにいる人は110人中で1020名ほど?だったように思われる。自分でも最初の500m3:10ペースくらいで走ってるのに、、と思いつつ、慌てず自分のペースで走る。3kmくらいのとこで前にいた銀河と合流し、一緒に走る。最後らへんはアフロの無為くんと誰か(名前忘れた)とトランジエリアに入る。5kmよりちょい長かった。Ave3:22

 


 

 

トランジはめっちゃ練習したので、疲れ切った中でも上手くできた。

 

Bike 52:23(84位/86人)

感動しました。みんな優しいわ。トランジで遅れた人も待ってからペースを上げて、前に出れない自分もしっかり集団に入れてくれた。足が回復したらローテにも入れて、ペースも無理ない感じで良かった。

ただ、カーブで毎回出遅れる。立ち上がりでガチ踏みして本当に苦しかった。結果的に足を攣り、3周目でちぎれる。銀河はそのまま集団でいってしまったぁ。

後ろを見ても集団どころか人っこ1人いなかった。これマジ。

1stラン3:203:25くらいのが自分のいた集団で、そことそれより遅いところ(~3:40?)の集団でかなり二極化していた印象で、めっちゃ離れてた。そのまま3周目は単走で走る、、途中で完全に足がつり、伸ばしても伸ばしても治らんのでビンディング一度外してリラックスさせようと思ったが、ビンディング付け直そうとすると足めっちゃ痛くてつけられない。その結果片足ペダリングになった。(片足で漕いでたのはこんな感じ、、)何とか付け直して漕ぎ始める



(↑左の足首がこの角度で固まって動かんかった、、)

 

4周目で後ろの集団と合流し、いれてもらう。しかし奥の折り返しでちぎれ、単走になる。これより後ろは集団なく、先頭の金田さんが割とすぐそこに迫っているのを確認。やばい。

 

運命の5周目、途中で東海ののあさんととんとらの爽太くんに遭遇、butのあさん速すぎて置いていかれる。そのまま爽太君とLAPから逃げる2人旅。爽太君にはめちゃめちゃお世話になりました💦

何とか5周逃げ切り、向こうのレーンから金田さんから「よく逃げ切った!!」的なこと言われた、嬉しい。てかよく見ると金田さん1人じゃね??おーん、流石っすわ。

 

何とか6周目を走り終えて、いざトランジへ。足攣った後に状態でランシューを勢いよく履くと必ずさらに攣ります。なので、ゆっくり入れたけどやっぱり攣りました。トランジエリアで痛くて寝転がってる自分に審判から「棄権しますか?」のお言葉。当然走りますと答えて、靴紐をめっちゃ緩くして足をゆっくり入れて何とか走り始める。

2ndトランジは3分かかってしまった、、

 

2ndラン 24:02(81位/85人)

よちよち走りで見苦しいものを見せました。行きの車の時に、「バイク後のランは速くなってるんですよねぇ!」とか、「ブリックラン走れないキャラじゃなくなったんですよね」とかイキリ散らかしてたけど見事にフラグ回収、全く走れん。

アフロの徳田くんや古俣くん、順天の豊嶋さんなど、知り合いに抜かされる時に応援してもらえたり、沿道の応援に背中を押されて何とか完走しました。



 1:33:52(84位/108人 完走85人)


 

1年越しのリベンジは一応達成。しかし1週間たって、冷静に振り返ると悔しい思いが込み上げてくる。しっかりレースになったのは2周目終わりまでで、千切れた後は完全に完走することしか頭になかった。2周集団に入れたならあと3周下げすぎないペースで走れば単走でも完走は出来る、そうなってしまったのが非常に良くない。

正直「カーフ」マンで足攣らない人なんていない(多分)、名前の由来もそうだし。圧勝した金田さんも足は攣ってたそう。自分は攣ってから切り替えることができなかったのが非常に情けないですね、、

レース中の自分は本当に全力で走ってたけど、いざ終わって客観的に見ると、甘々なレースでした。

 

あと、団体2位をつくトラが獲得した。これは自分がエントリーした10月ごろに書いたもの(字汚いのは言うな)。部屋に飾ってる



エントリーした当初は本当に自分も団体順位に貢献して入賞したいと思って練習したけど、練習のバランス調整や、ケアが上手くできずに怪我を連発し、目標は完走になっていた。

その中で金田さんを始め、しんめい、銀河が団体2位を取ってくれて、嬉しいけどやっぱり自分も立ちたいと強く願いました。

 

ひとまず冬の一大レースが終わったので、swimに切り替えます。swimは今回醜態を晒したbikeより苦手。残り4ヶ月しかないけど。ちな明日とんとらのswim合宿。楽しみ!!

こっから爆上げさせます。

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2024/02/25

デュアスロンの反省

 風間銀河です。入部を決めてからちょうど一年が経とうとしているので初めてブログを書きます。(文章を書くのが嫌いなため避けていただけ)

2月18日に神奈川県川崎市東扇島でカーフマン・シグネーチャーデュアスロンin東扇島2024・日本学生デュアスロン選手権」が行われました。小学生からエイジの方まで幅広い世代が参加できる大会でした。和気藹々とした大会は楽しくて良いですよね。レースとは全く関係ないですが川崎といえばBAD HOPというHiphopグループのホームタウンでもあり、有名なフレーズがあります。興味がある方は「川崎区で有名になる方法」で調べてください(ネタです笑)川崎市民の風評被害もいいところです。話を戻して私はエリート男子の部に出場しました。こちらのレースは集団走あり(ドラレース)のレースのため高速化が見込まれました。私自身集団走ありのレースに出場したことがなく、かつ3週間前の集団走の練習でも落車していたので余計に不安でした。ランに関しても練習はある程度できていたもののあまりいい感触はありませんでした。不安だらけで臨んだ大会でしたがレース全体を振り返るとバイクやトランジで成功できたので及第点は取れたのかなと思います。


1stラン17'27"(42)

目標は3'20"/kmを切るペースで第2集団くらいいる予定だったが1kmすぎてからみるみるペースが落ちてしまい約20人に抜かれた。結局目標のペースではいけず第5集団であたりでバイクに移った。17'30"切るくらい。ただただ走力が無かった。もっと練習しないといけない。


トランジ1

自分の番号が見当たらず少し焦ったが見つけてからは比較的スムーズに行けた。


バイク44'18"(12)※トランジ1含む

バイクでは集団を引っ張ってくれた人がみんなで行こうと言ってくれたためスムーズに集団を形成し先頭交代しながら走ることができた。優しい人がいるなと思ったと同時にかっこいいな、こんな人になりたいなと思えた。バイクは約4.8kmを6周するコースで、2周目まで集団で引き合いながら前のパックを吸収していった。5周目あたりで主将(しんめい)のパックに追いつき、後ろの追いついて来た集団と合わせて50〜60人の大集団になった。しんめいに追いついた時、正直勝ったと思ったが2ndランでけちょんけちょんにされた。ラストの1周の後半で集団が縦長になりするっと前に行けたので5秒だけ先頭を引きバイクを終えた。初の集団走で楽しすぎたので終始ニヤニヤが止まらなかった。デュアスロンチャンピョンである金田さんにもバイクラップで勝てたので大成功😊(自分は集団の中でコバンザメ、金田さんは長い間先頭引いていた模様)


トランジ2

おそらく誰よりも速かった気がする。完璧だった。


2ndラン19'24"(32)※トランジ2含む

1stランとバイクの疲労で足が攣ってしまい走り始めは全く動かった。途中立ち止まって足を伸ばしてからは3'40"/kmを切るくらいで耐えたが後で結果をみると15人に抜かれていたのでまだまだ実力不足を感じた。ランが全く完成してないことを踏まえるとこれから陸上部出身であるのを控えた方がいいのかもしれない。あまりにも弱すぎる。


とりあえずランの課題が浮き彫りになったので今後の練習に活かしていく。


レースの反省は以上です。


最後に2年連続チャンピョンである金田さんにBig up。本当に尊敬します。

来年は闘えるくらいになりたいです





2023/12/24

宣戦布告!

 

お疲れ様です。物理B3の小林です。

 

数カ月前の目標に建てた目標の一つは英語でコミュニケーションでした。目標に近づこうとするとき、方法論を探すというか、まずはあれこれ手伸ばしちゃうんですよね(飽き性,三日坊主とか言いますね)。景気づけに、今年度入部した留学生のKaiさんとスタバに行ったり、洋画見たりしてモチベーションあげてスタードダッシュしたんですけど続かないものですね。いままさに崩れゆく土台だとしても、高校時代築き上げたかつての強固な土台、上に立てると思っていたのですが……。結局単語帳から始めました。単語、そしてReadingをまず征服していく戦略にシフト(中高デジャヴ!!)して、一日50単語見て、飽きかけていますが復習もしながら400単語目に到達。この方法を義務奨励されていた高校での教育は肌に合っていたようです。だから、最良の方法は前から知っていて、苦しいからイヤイヤしてただけなんですよね悲しい。

 でも、(かっこよく言うと)方法論の探究はその過程で副産物を生みました。そう、洋画です。中でも笑える系の、計算された雑さにツボを刺激されました。『イエスマン』と『インターステラー』(これはシリアス)を憶えています。

 

beyondに移ります。

 

マラソンの方法論は、つくまらの部ログであげたように、運動時間と速度の塩梅だ。つくまらではサブ34’15/kmを目標にしていたが、beyondの目標はサブエガ⇔4’00/km。小林のつくまら後、beyond前を振り返る。

 

11/27-12/3 11.3km

つくまら後。疲労の程度も良くて、一週間は休むと決めていたから良い週。

笠間の石切山脈行くのに道祖神越えたあほ。

12/4-12/10 61.6km

復活祭。この週コンスタントにやれるととても強い。

12/11-12/17 36.7km

雨や予定であまり走らなかった。特に週末心動かせず甘えてしまった。

みなとみらい-生麦10km行進で脚ピキの徴候。スニーカーでロングウォークはダメ??

12/18-12/24 37.9km

脚ピキ徴候を感じて前半ストップ。先週末と合わせて走ってない日が続いた。

忘年会翌日にペース走して耐えたの偉い。

 

メイン練

12/4明るい未来の光(荒川沖駅)jog 21.5km

12/7つくば駅4往復 18.7km 4’00/kmペース走(失速)

12/13万博記念公園駅イルミjog 16km

12/14 クロカン 12km b-up

12/23 暑熱ぐるぐる 10km 4’00/kmペース走

 

 

不安なのは、脚ピキ(去年のつくまら!)を感じて全力で安静にしてたら治った(と信じてる)けど、楽さも少なからず失われたこと。元々限界への挑戦だから、痛いハンデを負った。残り数日、ちょくちょく短めキロ4ペース走を挟んで(そもそも慣れ得るか危ういが)ペースに慣れることを祈る。

 

ペーサーかつ肉壁が最初から最後までいてくれるという有難い特別なレースのため、目標のレース展開は単純且つ最強で、42.195kmペース走!無難に最高の結果を得る。

 

 

表題回収

 

布告するためには宣戦される相手が必要だが、beyondには彼がいる。つくとらから他には渡邊涼太(B3)と青木ななみ(B2)が出場する。

渡邊は同期で同学類(来年度にはより大きなが追加されるかもしれない……)。容姿端麗で叡智聡明()。圧倒的ランナーで、3000mもハーフマラソンも小林が大差で負けている。そんな彼が同じタイムで申し込んだ!(beyond5分刻みの目標タイム毎に集団スタートするので、垂れない限り最初から最後まで同じ集団にいる)

サブエガ達成が1st目標だけど、折角なら渡邊に勝ちたい。人生のパスワードがあるならそれは、イエスではなく全てを手に入れるだ。もし途中で飛び出されるとしても最後には抜き返したいし、最後競り合うなら制したい(短距離力は同程度だと思ってる)。起こり得ることは起こる。マーフィーの法則は、最初に飛び出した方が負ける。

 改めて宣戦布告。お互い目標達成した上で、勝負は制する。死の行進にならないように意気込もう。冷たい太陽の下でも精神論で燃えるんだ。

 

 車,応援,etc.として年末にも関わらず数人のつくとら’sが駆けつけてくれます。感謝。最初は玉井(B3)が車出しして3人を送ってくれる予定だったのですが、ひょんなことから応援人数が増えてくれました。見所作らなきゃね!!

 

おまけ:ひょんなこと

 全体MTG室内の話題は、時間の矢に従って雑談へと緩和する。

ベートーヴェンの演奏会かbeyond応援か決めかねる二人に「応援来てほしい??」と尋ねられ、来てくれるなら嬉しいなどと毒でも薬でもないことを言う。演奏会よりも感動を受け取ってもらえるのか??という逡巡に依るものだった。次に二人は後輩に尋ねる。「来てくれるんですか!?」という歓声と眩しいばかりの笑顔が降誕した。それらは可能性の束を収束させるに十分だった。彼らは行かねばなるまい。なぜなら権利があるのだから。皆が幸福であるような事態を手繰り寄せ、総体である世界に一撃を加えんとする彼女はまさに応援したいひとだった。

 

 

那覇マラソン組にパスしたはずのバトンですが、自己回収してしまいました。次は受け取り願いますまる

2023/12/02

つくまら初出場!written by 小林(B3)

 

Part0 プロローグ


2021/11/27 松戸河川敷3’35’58

2023/4/16 霞ケ浦マラソン 3’13’43

いままでのフルマラソンの成績。高校生には淡い憧れはあったけど、完走できるだなんて思わなかった。大学で、トライアスロン部でエンデュランススポーツを楽しんで、憧れは目標に昇華した。小さな大会ではあったけれど、コロナ禍でも開催してくれた松戸で完走は目標ではなくなった。最初の場所はサブ3.5にあったから、次の目標はサブ3に定めた。朧気ながら浮かんできた数字だけどキリがいいし、手を伸ばせば届くと思った。2022年のつくばマラソンは張り切って、走行距離を一気に増やしたのかシューズが合わなかったのか、練習の段階で怪我してしまったため出場しなかった。東北(大学)スイム合宿,東北(地方)バイク旅,霞ケ浦マラソンと、ラン一辺倒にならないで怪我無く臨めた今年4月の霞ケ浦マラソンは早い段階で飛び出してしまい、戦略の甘さを補えるだけの自力はなくて30kmの壁に阻まれた。迎える一年越しのつくばマラソン。

 

Part1 準備

 

無理に走行距離を上げると怪我します(体験談)。そもそも満足に出場できないのでは論外だから長時間走るような慣れない練習はあまりたくさんは入れたくない。今までの「練習ができるだけの身体を作るための練習」でできる範囲に留めます。

サブ3計画の要はレースペース感覚と距離踏みジョグ。メイン練は21km4’15/km(サブ3ペース)ペース走を2回、30km程度のジョグを2回、9月から11月中旬のどこかで踏めればというものでした。

実際には雨で()2つは潰してしまって1つは別日にずらしました。

21kmペース走10/4()10/5()

21kmペース走10/29()→中止

30km土浦花火ジョグ11/4()

25km「明るい未来の光」ジョグ11/10()→中止

 

1.     ペース感覚

サブ3まわりにはたくさんランナーがいるはずだけど、レースペースを感覚で覚えておけば自分が入るべき集団を時計と自分との2つで漁れるし、入った集団が最後まで刻んでくれる保証はないので自分の感覚は大事にするべき。実際、10/5の回では速めなペースに乗っていて後半垂れたので、完全に自力でサブ3するなら神がかったペース調整力が必要だと痛感しました。悔しい。10/29ではそれも踏まえて最初ゆっくり目に入って走ってみようと思っていたけど雨で流れてしまった。気持ちを集中させて向けないとしっかり21km走ることは難しいので、別日に行うことはないまま、代わりに10kmくらいの距離を4’10-4’20で何回か走ることにしました。バイク練後にしてみたりして疲労度を再現してみたつもりで、そこではしっかり耐えることができて自信になりました。

ところで、ペース走をするときには信号無しのコースがほしいので1.15kmの周回コースを見つけて18周するのだけれど、一人でやるには気が重いです。せっかく部活に所属しているので掲示板で募集したら、大集合の予兆があったけれど、2回とも雨で流れてしまったのは残念でした。今度またやりましょう。

 

2.     距離踏み

 長時間走っていると例えゆっくりでも心拍とは関係なく脚が疲れます。慣れることはないと思うけど覚えておくことには意味があると思って、マラソンの感覚の思い出し3時間ジョグ。娯楽というか、ちょっとしたお出かけ要素があるので楽しいです。ちょうど土浦で花火が上がる日があったので、合わせました。晴れました。土浦の花火師は晴れ男。一人で見るのも切ないのでおなじくつくまらに出るごんさん(B4)も一緒です。花火をただの炎色反応じゃんとかいう理系への偏見みたいなの嫌い、素粒子の集合体の相互作用をどう認識するかに人間の情緒が表れるんじゃん、みたいなこと言ってたら花火もフィナーレです。とても綺麗でした。

「明るい未来の光」はtwitterで見つけた荒川沖駅のイルミネーションの売り文句です。浴びてみたかったのですが、雨が降ってしまい中止になりました。代わりに、別日につくば駅を3往復(13km)して現代の光を浴びていたらせなむり(B2)に何回か遭遇しました。40kmLSDしていたそうです。彼もつくまらに出ます。すげえ。

 

 

 あとつくまらに出るつくとら’sとは、めい(B3)とコスモスを見に走りました。大きな道路の脇に集落のようなところに通じる道があって、ちょうど光の差し込む方向にコスモス畑があって綺麗でした。

 他にも主将(B3)が誕生日に召集したり、しんめい(B2)が集めた上級生パックに乗ったり、多くのひととRT外でジョグできて楽しい時間でした。なんやかんや週走行距離は伸びていき、マラソン一か月前くらいの去年との比較では

2022

9/20-26 70km,9/27-10/3 55km,10/4-10 71km,10/11-17 50km,10/18-24 46km 以降怪我

2023

10/24-30 68km,10/31-11/6 70km,11/7-13 57km,11/14-20 39km,11/21-27 49km(42.195km)

あんま変わんなかったです。強くなったんでしょうか。それか週末に大きいのドカン、よりかは10kmジョグこまめに、だったのがよかったんでしょうか。

 

Part2 レース

 

レース当日は7:30集合で陣地取り。8:00くらいからOBOGさんたちがぞろぞろ来始めました。知らない人も多かったのでなんとなく現部のほうに寄って行ってしまいましたが、B4の先輩は交流していて、折角だしもうちょっと話し掛けてもよかったのかなあと思いました。それはそれで、安心できるひとたちと話してリラックスできてよかったですが。

 

集合時間時点では気温6,小雨というコンディションだったので服装選択は大事でした。トライスーツを諦め、つくとらの白Tにまともな半ズボン,そしてカーフマンで手に入れたアームカバーを装着して、数人に見送りしてもらい(手厚い)、直前まで上下ジャージを羽織ってました。ちなみに半ズボンのポケットにはMag On4袋詰めました。ありがとう岡田先生。

 

Cブロックに割り振られた私ですが、第一ウェーブ(A,B,Cブロック)後方だったのでスタートの合図がなっても10-20秒は歩いていました。緊張感無あ()

1.     0-10km

 最初は当たり前にひとがいっぱいいて上手く走れません。加えて動いてないので寒いので、最初の戦略は端っこに行かないで風避け,保温に努めること。でも真ん中に行って身動き取れなくなるのも嫌だから完全に端にはならないようにやや右端を維持して温りました。実際、位置によって体感の寒さ結構変わりました。1kmも経ってないけど大ループの坂を超えたあたりでは普通に走れるようになりました。でもまだ色んな目標ペースのひとが混ざっていると思うので気持ち抑えつつ層の分離を待つ時間です。我慢して自分のペースを維持します。ちなみに坂頂上からの人の群れ、圧巻でした。光電子増倍管という電子を10^5-10^6倍に増幅する機械の目があるのですが、自分も増幅する電子のひとつになった気分でした。全体とは独立して意思を持っているのに、意思ごと呑み込まれてお祭り全体の一部にされてしまっている感じが良い。さて2km目くらいで大学の北限一の矢エリアを通過します。このあたりからまわりの集団へのチューニングを始めました。良さそうなペースだと思って集団に入ってペースを作ってもらう作戦です。給水で乱れたりしましたが、結局10kmくらいまでには安定したペースに入れました。

 

2.     10-30km

 良い集団に入って、端っこにならないことだけ気を付けて淡々と走ってました。多分前後も同じペースで走ってて、4’10/kmで移動する集団が密疎密疎……みたいな感じで連綿と続いていたんだと思います。5km毎にMag Onを半分ずつ飲んで給水は毎回取って、先頭と端にはなるべく行かない……、体力保管に努めました。北部工業団地を通過して21kmも通過。このままのペースでいけばサブ3達成できる。無事スタートラインまで運ぶことができました。霞ケ浦はこのあたりからペース上げてブリッジしまくって死んだので、ハーフを過ぎても何とも思わなかったです。30km弱からちょっと余裕を感じ出して、上げたくなってきたのですが我慢我慢と言い聞かせて、ブリッジは最小限に留めました。

3.     30-40km

30kmを過ぎても足も呼吸も健在でした。壁は通過を見逃してくれたようです。舞台は研究学園に移り、テンションも都市度も上がります。かっつんさん(B4),大城(B3),金田さん(B4)を無事?見つけ、つくとらの応援も聞けました。自分のペースはあんまり変わらなかったけどペースダウンする人がちらほら出てきて、集団も10人規模のものが前後にあったのが瓦解して2,3人規模になっていた気がします。一応我慢して、陸橋を登り終えた35km地点で、勝ちを確信して、下りの勢いそのままに仕掛けました。3’50-45/kmまで上げたら完全に抜かす側になってとっても楽しくて笑ってました。大学に帰ってきたあたりでカメラマンを侍らせたハリー杉山さんも抜きました。

4.     40-42.195km

相変わらず抜く側でしたがペースダウン。壁は平行移動して40km地点で待っていてくれました。でも2kmじゃ止まりません。周りも同じ気持ちなのか速かったですが、最後まで勝負できてる事実がとっても嬉しかった!総合研究棟あたりでさきさん(B4),かのさん(B4)がいて、最後の坂の前にはしんめい(B2)が応援してくれました。行きで自分のこと電子みたい~とか思ってた場所です。もう、そびえ立ってました。きつい。抜かす側から抜かれる側になってるな~って感じましたが、既にキロ7,8くらいでもサブ3は行ける距離。ダメ押しとばかりにしっかり走り切れました。タイムは2’54’07。遂にしんめいに勝てる種目が見つかりました。

 

 

寒い中、応援&労い&……ありがとうございました。結果も出て、とっても楽しい回でした。12/3()の那覇マラソン組にパスします。

2023/11/24

The Road to IRONMAN in LK 第2章 レース準備編~試走は体力温存のためナシで~

はすです。月刊IRONMANのお時間です。前回の第一章では「毎週更新します」とか言って、2回目にして1ヶ月後になるという失態。。 否、人間くささ。ダメな自分ですが、そのダメさもまた私を構成する大事な要素であります。


我ミスる、故に我在り。今日も私は平常運行でありんす。


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〈前回のあらすじ〉

準備不足の蓮沼、かくかくしかじかで渡航前日に絶望。一時は飛行機に間に合わない説もあったが、救世主Gondyが現れなんとか搭乗。

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安い航空券を買ったので、レース会場のランカウイまではクアラルンプール(以下「KL」)・ペナンの2空港を経由しないといけない。KLの空港はめちゃデカい。1億m^2という訳のわからん広さを持ち、敷地面積は世界で第2位の空港らしい。


羽田から一緒に来ていた日本人のIRONMANランナーの方は、2-3万円課金してKLから一気にランカウイまで一気に行ける飛行機を買ったのでここでお別れ。おれとコジは当然無課金プラン。取り残される2人。迷子になるのはアンパンマンが最後に勝つことよりも必然である。


空港職員の方に尋ねて、BだかDだか分からない発音や、kだかhだかわからないメモと格闘しながら無事搭乗窓口に到着。サンドイッチをほおばりペナンに出発。ペナンに到着。空港は意外とデカい。ぺナンを出発(雑)。ちなみにペナンは世界遺産もあり東西交易で栄えた歴史ある地。マレーシア・イギリス・中国・インド等々の文化が入り混じる面白い土地らしいです(留学者の受け売り)。


ここでまる1年ぶりに、マレーシアの代表料理ナシレマック(Nasi Lemak)を食べる。ココナッツミルクで炊いたご飯とおかずたちみたいな。美味かったけどやっぱ辛かった。けど美味かった。相変わらずメニューの半分以上は提供不可とか言われて、なんだか昔の記憶を色々と思い出した。1年前、自分があの環境で当然のように暮らしていたのが信じられなくもあり、なんとなく羨ましい。


↑↑ナシレマック。「ナシ」はご飯、「レマック」はココナッツミルクの意 ペナンから飛行機で揺られること1時間少々。ついにお待ちかね?のランカウイに到着!空港は飛行機から降りて歩いて空港まで向かうというローカルならではの斬新なスタイル。一面に広がる青い空に空港以外の人工物はなく、鳥は自由だった。



こじオと2人、飛行機から降りて開口一番、「あttttttっつ!!!」

それもそのはず、気温は30度越え、湿度も恐らく日本よりも高くかなりムシムシとしている。「ココ走んのか。。」と旅行者気分で飛行機に揺られ、24時間少々忘れていた絶望を思い出す。


空港内には既に多くのシーコンが並び、レースの始まりを告げようとしている。なんとなくお祭り前のワクワク感に近いものがこみ上げる。一応預けたBikeのロスバケも心配していたが無事回収。「何も壊れてませんように。。」と念じながら輪行袋を開けたら、そこにあるはずのディレーラーがない。


「あ、オワッタ」


と思ったけどよく見たら人為的に外された跡がある。あー空港職員の人が外してくれたのかな。ありがたや(自分で外せ)。


特にやることもないので、早々にUberで宿に向かう。ホテルにつき、Bikeを組み立てて、近くのスーパーもどきに食料と水を買いに行き、レストランで夕食を食べる。


当然っちゃ当然だが、街はIRONMANのニオイがプンプン漂う。「Welcome to Lang Kawi!」と描かれたトライアスリートのデカい看板、歩道では屈強なオニーさんと華奢なオネーさんがジョグり、車道では高そーなTT Bikeがラチェット音を轟かせながら過ぎ去っていき、街の人もIRONAMAN Tシャツを着てる人も少なくなく、「IRONAMA~N?」とか言いながらニコニコして手を振ってくる。これにはワクワクせざるを得ない!!やっぱ東南アジア好きやわあ。


宿の部屋が、エアコンかけると水ぽたぽた垂れる&エアコンの真下にベッドがあるから不可避的にベッドが濡れる仕様なことを除けば、到着1日目は比較的リラックスできて良かった。



〈2日目〉

この部ログの執筆現在、レースからはや1か月半が過ぎている。さすがにこの日何時に起きたかは忘れた。てか逆になんでこんなにあの日のことを思い出せるのかが不思議。それだけ特別な時間だったということか。


ん、1か月半!?まだそれしかたってないの??一年前と言われても納得してしまうくらい遠い昔の記憶でもある。


余談だが、学び続ける・新しい発見をする・自発的になる、この 3 つが時間を長く過ごす上で重要らしい。ジャネーの法則によると、人間は 20 歳で人生の半分を終えているそうだ。つまりこれからは体感時間がより短くなるということ。一方で新しい経験を得られると、脳が取り込む情報量は多くなる。処理するのに時間が必要になる程、時間感覚は遅くなるそうである。美味しいものを長く味わうためには、この3つを意識していかなくてはならない。※引用元:森さん(黒キャノンを部車として寄贈してくれた方)の2016下半期会報


新しい経験を沢山して、あっという間の人生を少しでも長く味わいたいものです。



さて、当日の備忘録に戻ります。 レース会場は宿から5-10kmくらいの場所。現地特有のどのタイミングで割り込んでくるかわからん車やバイクに戦々恐々しながらBikeで向かう。


会場に着くと、既に多くのランナーとロードバイクとIRONAMANグッツが!!!しかも受付を済ませたらなんとIRONAMANバッグが参加賞として無料でもらえた!!ちょうどスポーツバッグを切らしていたので、渡りに船とはまさにこのこと。IRONAMANグッツはBikeパンツだけで2万近くしたりめちゃ高だったけど、前週まで1ヶ月間欧州の円安物価高にもまれて金銭感覚がバグっていたので、お財布とは相談せず物欲の8割くらいを満たしながらショッピングを楽しめました(買ったのはランパンとBikeジャージ(上だけ)と食料を入れるための追加のサドルバック的なの)。



もうおなかいっぱい。十分満足しました。このまま海行ってビーチで昼寝して帰りたい。。



とはさせないのがIRONMANのしたたかなところ。記念Tシャツと記念タオルは完走しないと貰えないらしい。いや一番欲しいやつ!うーーんこのドSめ!


その他、お馴染みの日本人ランナーの方にまた再開したり、同世代の外国人選手(恐らく年代別でKONAを狙っている)から「君たちどのくらい練習してるの?」と探りを入れられたり、名前を漢字で登録しちゃったから沿道やフィニッシュで名前を呼んでもらえないことが発覚したり色々ありました。全てがおもしろかったです。


受付と競技説明会を終え、後は自由行動。もとい前日in組にとっては試走やレース準備の時間。ちょうどswim会場(T1会場)までバイクを持って行き、バイクinしないといけないが、ここから20kmくらい。悪くはない距離。ただぶっちゃけワシはバスで行きたい。地味にもう疲れてたし、もっと疲れちゃうから(情けない)。

恐る恐るこじに聞く。こいつは1カ月前までインカレ選手。体力は当日比おれの1.5倍くらいある。



はす:「なにで行くー?(バイクはいやだ!バイクはいやだ!バイクはいやだ!...)」


コジ:「グリフィンドーーール!!(バスで行きましょう!)」

はす:「Yeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeaaaaaaaaaaaa!!!!!」


コジ:(;^ω^)ナンダコイツ...



てなことがあったわけではないですけど、バイクで行きかけたところ、準備もたついてたらバスがやって来て、「もういっか」てなって2人でバスに乗りました。観光バスみたいなやつだったけどロードバイクも一緒に座席に乗せるという大胆さ。バイクは4人分のスペースをとるということをこの時初めて知った。


T1会場で危なげなく受付を済ませた後はあまり記憶がないが、はっきり覚えているのは順天?かどっかのOBの人が声をかけてくれたこと。多分僕がJUTUのシャツを着ていたからだろうが。話を聞くと、どうやらつくトラOBの山下さん(2018年度卒で主将もやった人。僕は面識ないけど、優さんや大輔さんや堀田選手やほたかさんから何度も名前を聞いたことはある)とかつてIRONMANに出たことがあったらしい。


マレーシアで繋がるのすごっと思いつつ、当時の繋がりが時を超えて現在、当時は全く関係がなかった人間(ぼく)に影響を与えたことに、おもしろさとトライアスロンの持続性を感じた。コジおはコジおで、国体合宿?で一緒になった人と再会したらしい。


トライアスロンやってると色んな繋がりができていいですね。キツさと達成感や充足感を同時に共有できる競技性も、選手を選手をつなげる大きな要因になっていると思ったり。



夜は飯食って寝ました(急に雑になる)。飯はメキシコ料理?みたいなのでカーボローディング。夜は今日こそ早く寝なければ!!と思っていたけど。結局某所属団体の代表業務でPCカタカタパチパチしないといけず、ブルーライトを全身(?)に浴びながら寝たのは11時半。


翌朝は4時起き。想定睡眠時間は4時間。


「まあ、関カレ寝れずに徹夜したけどインカレ行った人いるし、逆に睡眠不足で頭と身体が覚醒するみたいな話もあるしな」


というココでも発揮する恐ろしいポジティブ精神。しかし私は気づかなかった。インカレに行った人はそもそも当時の部内でトップレベルの実力であったこと、関カレとIRONAMANは距離が5倍違うこと、そして明日は夜も走らないといけないこと。。


なんで3つとも気づけないんでしょうね。

そして、この時の睡眠不足が翌日に大きく響くことをノンレム睡眠中の蓮沼くんは知る由もなかった。。

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前日編はここらへんにしておきましょう。IRONMANに興味があって、「どんなレースなんだろう」と思ってこのブログ(1章と2章)を開いた皆さん、ごめんなさい。恐らくあなたが求めた情報はまだ全くないと思います。ここまでは完全に旅、いや前夜祭の備忘録です。


たぶん次回から、本格的なレースレポに入ると思います。


次週、The Road to IRONMAN in LK 第3章 レース編~スポーツの名を冠したデスダイエット~

デュエルスタンバイ!


~CM~

つくトラOBでミスターつくば2023の周さんが、毎月?昔のカード縛りで遊戯王の大会を開催しているらしいです。僕もこの前ひょんなことから参加してきました。童心に戻ってとても楽しかったです。12月もやるらしいです。精神年齢を10歳下げたい方は参加をお勧めするので興味あったら周さんか僕に声かけてください


2023/11/18

デュアスロン日本選手権レースレポという名の備忘録

こんにちは。

金田です。

11/4()に山形県寒河江(さがえ)市グリバーさがえで開催された2023デュアスロン日本選手権に参加してきました。そのレースレポというか日記というか備忘録です。

 

11/3(土)

前日に筑波から実家(千葉)に一旦帰り、家族の車で山形まで。

7時半くらいに出発し、途中成田駅で同じく出場する国際武道大の大樹をピックアップして高速に乗った。お父さん運転ありがとう。

 

途中渋滞もあり13時半に寒河江I Cに到着。

13~15時にエリート受付、1510分から競技説明会があり、会場が高速を降りてすぐのホテルであったため、受付をした後に2,3km先のレース会場に向かい試走をした。


バイクコースは狭くコーナーと折り返しが多く、コーナー内側に砂があったり、折り返して坂であったりとかなりテクニカル。

 バイクのギア構成はフロント53-39tリア11-25tで、アウターロー53-25tだと折り返しからの坂がSFRのようにグイッグイッと踏まないとクリアできないので、特にバイク後半に攣らないように安直に下腿で踏んではいけないと予想。

他にもレース速度で突っ込んでコーナリング時の立ち上がりのギア位置やトランジ、ランコースを確認して数キロで試走を終了。

 

その後、競技説明会に間に合うようにホテルに行き着替えて競技説明会へ。

どうやら当日バイクの車検や使用シューズ、レースウェアの撮影もありしっかりしているそう。大樹曰くインカレも国体はもっと緩いんだとか。ちな世界選手権は、ホイールメーカーまで確認された。(1,2年生で有名メーカーではなく中華系で安くカーボンホイール買おうとしている人はUCI認証確認ね)

 

2週間前のスプリントで会った人もいたが、田中さんや特に深浦さんはお久しぶりですと挨拶をした。まだ初レースから一年も経っていない為、知り合いが少ない。これでも結構増えたんだけど。

 

宿泊するホテルは会場から東に15kmほど離れた天童駅近くのビジホ。

大樹の両親も交えて近くのファミレスで晩御飯。

翌日の朝ごはんと補食を買いつつホテルへ。

お風呂に入り「頑張ります」ストーリーをあげて9時半くらいには就寝。

割とすぐに寝られた気がする。

 

11/4

当日。

スケジュールとしては

トランジオープン・当日受付6:30~8:10

スタートセレモニー8:10~8:20

男子スタート8:20 

朝一番のスタートなので朝ごはんは〜5時までに終えて、540分にロビー集合、6時に競技説明会をしたホテル近くでバイク組み立て、会場まで2kmほど漕いで行き6時半には到着。



バイクをレース仕様(前後ライトマウント、使わないボトルケージを外す)にして当日受付を済ます。(実はシートチューブのボトルケージに空のボトル差したほうがエアロはいいのかな…?)

霧が深くてヘルメットシールを貼ろうとしたら結露で貼れなくて少し焦った笑

 

選手登録を終える頃に霧が深いとの理由(?)でスタートが850分へ変更。

この30分のおかげでアップに余裕が持てた。

(てかそもそも820分スタートは早すぎないか?笑)

 

会場に着いたときは一桁の温度だったと思うけど、スタート前には走るにはちょうどいい多分12,3度くらいで日光もあった。レースの格好を色々悩んでいたけど、結局トライスーツに厚手のアームカバーと各所にホットジェル。

 

さあ前振りで1000字を超えましたがレース詳細へ

前提として、目標は優勝のみ。ただ勝つことに尽きる。

そのために「勝利に必要な手を踏んで無意味な行動はしない」に終始した。

(若いなら挑戦しろという人がいるかもしれないがプライドだけでは勝てない。当たって砕けた悔し涙は綺麗だが誰も勝利とは交換してくれないもんね。)

 

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START

On your mar パーン」

せめてマークのクまで言ってくれ。

絶対何秒あけるとかあるでしょ。もはやマイナス秒。

 

1stRUN

前回大会の森さんのように1stRUNで飛び出すことには戦術的価値はない。(まぁかっこいいけど。)なので基本的に常に集団の前の方にいればおけ。スタート後に前にいた堀田さんの後ろについて申し訳程度に前に出て、最初の1kmは3分を切るくらい。1人飛び出したけど前述の通り追う意味がないので泳がせてその後は広大のおかしゅんを先頭に310を切るくらいで推移する。今回のコース、やたらとコーナー・折り返しが多くランではブレーキで、バイクでは立ち上がりで脚を使う。自分が最も楽に走れるように集団の中での位置どりは大事。特に書くこともなく十数人の集団のままトランジに入り1stRUN終了。

もちろん全力ではないもののまぁまぁきつかったのはここだけの話。


15’42(4) 3’08/km

 

T1

バイクを下ろした時にシューズと籠が干渉して少しロス。

飛び乗った時にシューズの上にうまく乗れずまたロス。

バイクスタートは集団後方で。

 

BIKE

前述の通りコーナーと折り返しが多いため毎回そこで集団が詰まり決定的な逃げや千切れるということがあまりない。前回大会の古谷さんのような単走をかまそうにも当時はショートDH使えたしバイク鬼つよで誰も行かなかったという条件が今回はない。落車等の危険回避と逃げへの反応、立ち上がりで楽をするために基本的に前にいてあわよくば最後抜け出したいという思惑。クライマー脚質な僕にとっては平坦ドラレースは主戦場ではないが、とは言っても漕げる方ではあると思うので、途中不意に逃げが決まりそうな時に逃げようとはした。ただまだ先が長かったりコーナー区間で追いつかれたりするためすぐに踏みやめた。前日確認した立ち上がりのギアポジションはドンピシャで、立ち上がりの時は隣かまえで誰かが頑張っているためその後ろにヒョイッとついて無駄なパワーはかけないようにした。トータルで楽に無駄なくを意識して、直前のレースがスプリント=ドラレースbutスイムゲロおそ=実質ノンドラレースだったので集団の中にいると体感めちゃめちゃ楽だった。平均240wに対してNP260wでいかに断続的に踏んでいたか。

5周回のうち4周入る時くらいに流経の定塚くんが飛び出したがまだ早い段階で1人逃げ切りができるほどの足は持っていないと判断して泳がせた。いいチャレンジではあるが自爆とも言える。頃合いかなと思って最終周中盤で捉えた。その後、折り返した後に最終的に2位の佐賀県?の石関さんが飛び出しいい勢いだったので乗っかった。まぁ例の如く次の折り返しで集団には追いつかれたのでトランジまでの1km弱でとにかく前にいることだけを意識して立ち回る。多分先頭集団で1番早くシューズのバックルを緩め脱いだ。そのおかげでみんなが脱いでいる時に少し前方に上がり先頭の2列目あたりで降車。

↑多分ラスト周回。父親に向けてピースするくらい余裕あった。

 

30’17(5) 40.2km/h(garmin)

 

T2

レースナンバー1ということで1番奥のラックまで走った。

この時に多分23人抜いた笑

バイクをラックにかけヘルメットを外しシューズを履く。この一連の動作がうまくいきT2で少し飛び出して2ndRUNスタート。

 

2ndRUN

石関さんとの2人旅。後ろから田中文也さんらが追いかけてくるものの差は縮まってこなかった。こりゃもうラスト勝負だなということはバイクの時からわかっていたためとにかく、離れないこととペースアップへの反応に気を配らせた。

とにかく本当にきつかった。平均心拍が208で最高心拍213という見たこともない数字を刻んでいたことが後々わかったが、インハイ出場当落線にいた高2,3の南関東に匹敵するキツさだった。(あの時もラスト勝負だった)

1.25kmを2周で1周目は後ろに追い付かれないようにして本命は2周目後半。2回の折り返しとラストのストレート前のちょっとした坂がポイントだろうなと思い、折り返しに入るところで前に出る。石関さんの足音を聞き気配を感じながら、最後の折り返しをした後にペースアップしたのを感じた。そっからは(ガーミン先生曰く最高速2’13/kmで)スパートをかけた。

 

GOAL

本当はゴールする時はサングラス外してゴールテープを掲げたかったけど、そんなことしてたら抜かるのでそのままよーわからんポーズでゴール。

勝てた。本当に嬉しい。

 

7’50(2) 3’08/km

Σ54’38(1)

 

人生積み重ねなもんで、高1の時に当時高3の原田先輩の県総体決勝1500m(これ見て)のラスト400からの圧巻のスパート(確か54秒くらい)に魅せられて、そこからアホみたいに毎練習ラストは上げまくって磨いた武器が役に立った。

その結果スパート勝負は僕の勝ちパターンになり、そこに持ち込むためにはバイクで休んで2ndランで離されないようにしないといけない。そのためにバイク力を上げうまく立ち回れるだけの力をつけた。レースペースに耐えられるようにランのベースを作り(陸上現役時代ほどではないが)もちろんラストも磨いた。

やっぱり結果が思い描いた通りに出ることは嬉しく、努力量が結果に比例しやすいエンデュランス競技からは離れることはできなさそう。

 


今回の大会で優勝できたことはもちろん嬉しいことであるが、初レースから1年未満(のまだ初心者?笑)で交流の狭い僕にとって、流経の定塚くんやFLEETの堀田さん、Go upの深浦さんなど既存の外の交流が広がったことも今後にとって大きな財産であると思う。

今回の遠征の裏目標が、「来年の世界選手権U-23メダルに向けてランのポイント練や高強度ブリックを一緒にできる茨城・千葉・東京の知り合いを増やす」でありこれについても達成できた。大成功の遠征でした。

 

レース後は女子のレースを見ながらバイクを車に積み、表彰式が終わったら即帰宅。

CM「美味しいものは脂肪と糖でできている」←大正解です。(でも飲料に脂肪燃焼を頼るのは違うと思う。結局運動量。)

食事制限とレース後の体に油が染み渡る。

 

途中SAで夕食をとりつつ夜遅くに実家に到着。

お疲れ様でした。

 

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最後に、中高の陸上の試合(なんなら少年野球の試合も)も世界選手権のスペインも今回の山形も応援とサポート(往復の運転!!!)をしに来てくれる家族は偉大です。本当にありがたい。

このレースまでに朝つつじとロングを共にしてくれた筑波山界隈のサイクリストの方々や応援と共に送り出してくれたつくトラの面々など様々な方からの応援・サポートと相互関係があっての結果であると毎度思います。

来年は前述の世界選手権U-23表彰台を主眼に置きつつ、ミドル・ヒルクラ・マラソン等色々な種目にも挑戦したいと思っています。

結果を残し続けられるように頑張りますので、引き続き応援のほどよろしくお願いします。

 

レースレポの範疇をこえて思ったことをつらつら書いてしました。

最後までご精読ありがとうございました。        

 

金田

 

 

2023/10/28

ラストレース

 

B3の玉井彪己です。
今シーズンも終わりですね。
先日のスプリント個人&チームTT選手権について書きます。
個人選手権の部
Swim0:10:22(30位/77)
 いつにもましてバトルきつかった。スプリントだけあってみんな激しかった。と言っても自分はバトル得意なので序盤で出遅れることはなかったです。しんめい(B2)氏は「バトルで出遅れた。トライスーツが目立ちすぎていたから狙われたんだ。」と申しておりました。インカレでスイマー達に離され、単泳を余儀なくされてしまった反省を生かして、Swim後半も気合を入れて泳ぎました。おかげでT1が過去一きつく、サポートの声も聴く余裕がないほどでした。
 後になって分かったことなんですが、自分の10秒前に最速パック(新幹線)が編成されていたみたいです。しかも第一パックにまで追いついてるみたいでとても乗りたかったなと思います。けど、自分的にはSwim尽力したので悔いはないです。悔いはないですが、、クヤシイ!
 トランジに着くと名簿順で近い髙平くん(とんとら)がいたので絶対についていくと思いながらBikeへ。
 
Bike0:33:36(31位/77) Split0:43:58(30位/77)
 髙平くんよりも先にバイクコースに出られたので後ろ見て待っていたら、なぜかしんめいがいました。なんでやねん。ついにしんめいにSwim勝ってしまいました。しかもしんめいは10:56で約30秒差。ウェットスーツって偉大ですね。
 この3人で前方100m先くらいに見える集団を目指しました。しんめいはしょっぱなに牽きすぎて消えました。最初の直角カーブ曲がって橋超えたところで脚ギリギリで追いつきました。追いついたときに髙平くんとハイタッチを交わしたのはとても印象深いです。ありがとう
 追いついて少し脚を休ませました。この集団には矢田目くん,藤本くんがいてとんとら率高めでした。それもプラスに働いたのか、かなり機能していたように思えます。さらに前の集団を捕らえられそうだったので、ペースを上げ長めに牽くと、またも髙平くんがこれに反応してくれて続いてくれたので、1周目終盤にはその集団にも追いつきました。大感謝
 この集団には、濱野さん(東海)がいました。インカレでは一緒にBikeまわそうと話していたものの、自分がSwim遅れてしまったので、今回は比較的早めに追いつけたので嬉しかったです。濱野さんが集団全体に声かけてくださったおかげか、この集団もとても機能していました。つき位置固定になっている人がおらず、全員が牽く良い集団でした。機能している集団走ってこんなに楽しくて楽なんですね。集団のペースが落ちたときに仕掛けてみたり、最後もまた髙平くんと抜け出してみたりとやりたいようにやれました。脚もインカレと比べて遥かに残っている状態でRunに入れました。
Run0:19:37(62位/77)
 3:52/kmペース。大会のブリックランでキロ4を切ったのは初めてです。欲を言えば19分を切りたかったですが、垂れなかったことは大いに褒めてほしいポイントです。Jogは偉大ですね。直近4週間はポイント練を行わず、その代わり計100kmジョグしました。自分的には過去一しっかりJogを積めました。明らかに後半の耐久力が違いました。
 しかしながら、現実は厳しく、Bikeでちぎったはずのしんめいと、どこからともなく現れた小林(B3)抜かれてしまいました。二人に対してT2時点では1分ちょいの差を持っていたみたいなんですが、、
 ちなみに髙平先生は14位まで昇ってました。
総合1:03:35(45位/77)
 一つの目標だったリザルト半分以上は叶いませんでした。まあいいです。個人的には全パート健闘したので満足です。そしてレースが楽しかったです。てかスプリントディスタンス最高にちょうどいい。もっと流行ってほしい。
トランジション(個人→チームTT) 1時間(11:40-12:40)
 一日に2回トライアスロンをやる練習はしていなかったのできつかったです。あと時間なさすぎ。指先が冷え込み、唇が青くなり、低体温気味で正直チームTT出るか本気で迷いましたが、とりあえずウェットスーツ着て考えよう。とりあえず入水して、Swim上がって考えて、Bikeは行けそうだし、Run中だったら最悪歩いてもゴールはできるしな。ということでスタートすることにしました。チームTTフィニッシュ後しばらくダウンすることはまだ知らない
チームTT選手権の部
Swim0:10:44(17位/36)
 絶望的コンディションで迎えたチームTT。寒気が止まらなかった。幸い、小林の同じくらいで上がれば文句は言われないので、無理せず泳ぐことにした。
 チーム筑波はスタート大外についた。なぜか他大は内側に集結していたので、スタートから一回も接触することなく快適スイムだった。単泳ペース走。心拍も上がりすぎてないし良い。このコンディションでこのタイムは嬉しかった。しんめいとトランジで小林を待ちながらゆっくりトランジした。
Bike0:37:20(19位/36) Split0:48:04(15位/36)
 小林のトランジをバイク乗りながら待ってる間に東海2年ズに抜かれた。私がRun遅いので3周目は喩こばに牽いてもらって脚使ってもらう予定だったので、その分1,2周目は長めに牽いた。チーム3人でドラしあうのは最高に楽しい。チームTTの醍醐味ですね。きつくはあるけどお互い声かけながら協力するのはとても素敵です。途中、小林がカーブと先頭交代がへたくそでしかも何回言っても直さないから若干空気悪くなったけど、何とか作戦通り行けて巡行も40km/hでいい感じにT2へ。体調も若干回復した。
Run0:20:14(21位/36)
 ランのスタートはまず小林と俺で先行して小林に伴走してもらった。喩はバイク3周目だいぶ牽いてもらったので、トランジで小休憩入れて追いかけてきてもらった。
 最初の1kmから脚重いし足首も傷んだので体調すぐれないので止まりたくてたまらなかった。それでも何とか1km目ラップは3:58で収めた。折返し前にしんめいが合流し、その時に東海2年ズを抜いた。インカレでは「ついてこいよ」と言って抜いていったゆうじんに「ついてこいよ」と言って抜いた。
 しんめいが合流してから二人にゴールまで腰を押してもらった。押されて走れるというよりも、押してもらっているということで責任感が増して走らざるを得なかった。間違いなく全ブリックランの中で一番きつかった。何度も途中止まろうと思ったし、中盤キロ4を超えてしまったが、ラストスパートしてAve3:59/kmでまとめられた。
総合1:08:18(6位/12大学中)
 3人で手をつないでゴールテープを切るとき、自然と声が出た。多分初めてだと思う。それほど素直に達成感を感じられるレースだった。案の定ランで明治大あたりに抜かれてしまったが、団体順位も6位でインカレが圧倒的ドベの最下位(11位)であったことを踏まえるととても健闘したレースだったと思います。しかし、体調無視して無理したためにしっかり倒れこみました。
 喩こばは今シーズンともにインカレまで頑張ってきた仲間であり、こうしてチームとして戦えたことを誇りに思います。また、今回は過去一番応援をもらえたのでおかげさまで走り切ることができました。つくトラのみんなをはじめ、合宿に参加して知り合えた人、大会を通して知り合えた人。応援してくれた人全員に感謝します。ありがとう。
最後に
 今大会をもって競技としてのトライアスロン(つくトラでいうところのA班)を引退します。一旦トライアスロンから離れる予定ですが、今後もつくトラに所属するし、折を見て何か大会にも出場する予定です。
 1年生の冬に入部してからのつくトラでの期間、特にインカレを目指したこの一年間はとても刺激的で有意義なものでした。自分に関わってくれたすべての人に感謝しています。そしてこれからもよろしくお願いします。
  B3 玉井彪己